ナツリンブログ

アニメ映画『パーフェクトブルー』が描く90年代から変わらない社会と心の闇

『PERFECT BLUE』ずっと変わらない社会と心の闇

どうも、ナツリンです。

最近Netfixで観た1997年公開のアニメ映画『パーフェクトブルー(Perfect Blue)』は、社会と人の心の闇というテーマで、何十年経ってもいまだに変わらないものがあることを訴えかける、強烈な作品でした。

それは監督が制作時に意図したものではなく、平成初期の作品を、令和の時代を生きる私が見ることで感じることができた、強いメッセージでした。

『パーフェクトブルー』とは

『パーフェクトブルー』は1997年に公開された、日本のサイコホラーアニメ映画で、今敏(こん さとし)さんの初監督作品でもあります。

夢と現実、記憶と事実、自己と他者、といった本来「境界線」があるはずのもの同士がボーダーレスとなって溶け合うというモチーフを表現した作品として、当時世界中で話題になったそうです。

あらすじ

主人公の霧越未麻(きりごえ みま)は、アイドルグループから卒業し、女優に転身したばかりの少女。

事務所の方針に流されながらも、アイドルのイメージから脱却するために、ドラマの中でレイプシーンを演じたり、ヘアヌード写真集を発売したりするなど、過激な仕事をこなしていく。

女優としての評判を上げていく未麻だが、ある日「未麻の部屋」と題する謎のWebサイトの存在を知る。それは「アイドルとしての未麻」に固執するストーカーが、彼女になりすまして運営するサイトだった。

ストーカーが作り上げる「アイドル未麻像」の幻影に追い詰められていく中で、彼女自身も「レイプシーンやヘアヌードは本当の自分なのか?」「アイドルとしての自分が本物で、今の自分は汚れた偽物なのか?」と自分を見失っていく。

現実と虚構が織り交ざり、未麻の精神は徐々に壊れていく…。

映像作品としての圧倒的な良さ

まず触れておかなければならないのが、平成初期の作品とは思えないくらい、あまりにも質が高い作品だということです。

恐怖を表現する技術の高さ

映画を観ていたときに一番最初に衝撃を受けたのが、表現力の高さでした。

90年代の映画であるため、画質の良さや絵の美しさという点では現代に劣るはずです。しかし音楽やカメラワーク、画面の切り替えの秀逸さにより、ストーカーに追い詰められていく恐怖感が見事に表現されていました。

映画を観ているだけの私自身も、目の前にある光景が現実か虚構か、わからなくなっていきました。「もう自分が誰なのかわからない」という恐怖を、自分が未麻であるかのように、身体で感じてしまうというのです…。

表現力の高さと技術の高さが比例しないことを、痛感させられました。

劇中の音楽性の高さ

映画の中で流れる音楽の良さにも驚きました。

未麻が所属していたアイドルグループ「CHAM(チャム)」が歌う楽曲『愛の天使』は、かなり強烈な一曲でした。

ステージの上で歌う場面では「アイドルらしい明るい曲」に聴こえますが、追い詰められる場面で聴くときには、「アイドルとしての未麻」の幻影を表現する恐怖の曲となり、めちゃくちゃゾッとします…。

おかげで映画を観終えた後しばらくは、「恋はドキドキするけど、愛がLOVE LOVEするなら♪」というフレーズに取りつかれました(笑)

エンディングで流れる『season』も印象的な一曲。

あまりにも暗い映画の主題とは正反対で、明るく爽やかな曲です。エンドロールで流れたときには、そのギャップを不気味に感じつつも、あまりの曲の良さに唖然として、動けなくなりました。

ZARDやTUBEといった90年代のキラキラ感があって、すごくいい曲です。

2025年6月現在、Apple Musicなどでは音源が見つけられなかったのですが、サウンドトラックのCDは発見しました。欲しくなってしまう…!!

▼『パーフェクトブルー』サウンドトラック

映画から感じたメッセージ

ここからが今回のブログの主題、映画から感じたメッセージの話になります。

いまだ変わらない芸能界の闇

この映画から一番強く感じたメッセージは、「性を売りにすることで心が蝕まれていく危険がある」ということです。

映画を観て一番すぐに思い出したのは、2019年に自殺した韓国の元アイドル、ソルリさんのことでした。

元々は子役出身だったため、アイドルを卒業した後は女優の道に進んだソルリさん。しかし事務所の意向で出演したのは、濡れ場のある映画でした。体を張った彼女でしたが、残念なことに映画はヒットせず、ただ男性の性の関心として消費され、世間からは嘲笑される結果となりました。

役者経験のある彼女なら、ヌードに挑まずとも演技力のみで、女優として認められることができたはずです。事務所の方針や、大胆な役に挑んでこそ立派という世間の圧力…。一番悔しかったのは彼女自身だったと思います。

その後、下着を付けない状態でライブ配信を行うなど、彼女の行動が変わっていきました。それはまるで「性の商品として消費されることなんて何とでもない」「私はそういう女なの」と自分に言い聞かせるかのよう。

世間は彼女の行動に反感を示し、SNSによる誹謗中傷が過熱しました。そして結果的に彼女は自殺する、という事態になってしまったのです。

「イメージから脱却するためには大胆な役に挑まなければならない」「濡れ場ができてこそ立派」という無言の圧力が事務所を動かし、役者は逆らえないという芸能界の闇。平気を装っても、ボロボロに自尊心を傷つけられた心…。

平成初期の作品が、令和の時代になっても社会が変わっていないことに警鐘を鳴らしているように感じました。時代と国は関係ありません。

当時、監督は何も変わらない未来があるなんて想像もせずに制作していたはずですが、結果的にそのようなメッセージを感じる作品となったのでしょう。

いまだ変わらない人の心の闇

アイドルに理想を押し付けてしまう心の危険性」も時代を超えて変わらずにあると感じました。

日本や韓国を中心としたアジアでは依然としてアイドルが人気であり続けています。学校や仕事に疲れた日常の中で、アイドルという存在は癒しとトキメキを与えてくれます。

しかし愛と憎しみは紙一重です。愛が強ければ強いほど、一転して憎しみも強くなってしまうことが多いのです。

「好き」や「憧れ」といったプラスの感情は強くなりすぎると、アイドルが理想のイメージを守らなかったときに、「反感」や「嫌悪」「裏切り」という感情に変換されやすいように思います。(恐ろしいのは、理想を押し付けている自覚がないファンがいること)

理想は自分自身で満たさなければならないと、私は常々思います。

他者の存在で自分の理想を満たすのではなく、欠けているものを満たすためには、自分自身と向き合い続けなければならない。『パーフェクトブルー』を観たことで、そう実感したのでした。

まとめ

本や映画などの過去の作品に触れることで、「人間の性質って昔から変わらない」と思ったり、「昔からずっと同じメッセージが発信されている」と感じたりすることがあります。

そのような作品は人や社会について本質を突いた部分があるのではないかと思います。(古代ギリシアの哲学者プラトンの『国家』という本を読んだとき、まさに同じことを感じました)

今回ご紹介した『パーフェクトブルー』はまさに、今の時代に見るからこそ感じるものが大きい作品の一つです。Netflixに加入されている方にはぜひ観ていただきたいです。

それでは、最後まで読んでいただきありがとうございました!

▼『パーフェクトブルー』DVD

▼『パーフェクトブルー』サウンドトラック

▼ かつての作品を今味わう系の記事だよ

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