山口小夜子から学ぶ「着る」ことの意味
2015年の展覧会『山口小夜子 未来を着る人』は、彼女の死後に開催された。
「日本の元祖スーパーモデル」と呼ばれた彼女が多くの人を惹きつけたのは、美しいだけでなく、「独自の哲学」を持ち合わせた唯一無二の存在だったからだろう。私も彼女の思想の深さに畏敬の念を抱かされた一人である。
今回は展覧会から出版された本の内容より、小夜子が語った「着る」ことの意味を中心に取り上げていきたいと思う。
▼『山口小夜子 未来を着る人』(東京都現代美術館)
山口小夜子が語る「着る」ことの意味
小夜子は「着る」ことを「生命をまとう」ことだと考えていたようである。
私たちが身に付けている衣服は繊維からできており、繊維は大地から生まれている。その繊維を紡いだ人や、繊維を裁縫した人、できあがった衣服を店頭に並べた人がいる…。
たくさんの生命の存在がなければ、衣服は生まれることができないのだ。
身体の70%は水で出来ています。その水の身体を包む衣は土の栄養や太陽エネルギーを十分に吸収した繊維を紡いで織られます。そして丁寧に裁断し縫製され、多くの人の手を経て衣服が生まれ店頭に並びます。
たくさんの工程は自然の摂理を含んだたくさんの命そのものです。
『山口小夜子 未来を着る人』より
小夜子は晩年、自分のことをあらゆるモノをまとうことができる「ウェアリスト」だと自称していた。私たちの魂は身体をまとっているけれど、衣服も、家具も、空間さえも、すべてをまとうことができるのだそうだ。
小夜子の思想では、「着る」とは衣服だけではなく、存在する「すべての生命をまとう」ことだと考えられる。
「着る」を意識すると世界の見方が変わる
「着る」ことが「生命をまとう」ことだと考えると、今この瞬間から、世界の見方が少し変わるような気がしないだろうか。
私はひとり暮らしの部屋でブログを書いているけれど、部屋の中にはソファがあって、布団があって、机がある。テレビや照明、本もたくさん置いてある。
小夜子が言うように、1つ1つのモノが多くの人の手を経て生まれていることを想像すると、私たちはどれほどたくさんの命をまとっていることだろうか!
日常の中にあるすべてのモノに生命が関わっていることを考えると、「生命への感謝」が自然と芽生えてくる。
身体は魂が脱ぎ捨てる最後の衣服
身体は魂が脱ぎ捨てる最後の衣服だと、小夜子は言った。
もしかしたら私たちは、生きている間に身体に収まってすべてをまとい、あらゆるモノへの感謝を学ばなければならないのかもしれない。
「肉体だって着るものなのよ。死ぬってことは肉体っていう重いキモノを脱ぎ捨てて、精神だけふわっと飛翔することなのよ」とよく言ってたけど…
『山口小夜子 未来を着る人』中西敏夫さんの追悼文
「着る」をここまで極めた人がかつていただろうか?「着る」を突き詰めた彼女からは、死ぬことさえ怖くなかったかのような、強さが感じられる。
私はまだまだ彼女ほど常にあらゆる生命への感謝をできていないと思うけれど、「着る」を意識して世界の見方が変わったら、この世を去るときには軽々とした魂でいられるのかな、と思った。
まとめ
山口小夜子が語る「着る」ことの意味は以上になる。
記事を書きながらふと思っていたけれど、「すべての生命をまとう」ことを意識していたからこそ、彼女の写真には目に見えない「気配」というか、ただ者ではないような「雰囲気」が感じられたのかもしれない。
『山口小夜子 未来を着る人』はめちゃくちゃ学びが多い写真集だったので、もう1記事くらい書こうかなと思ってる。また次回もお付き合いいただけたら嬉しい限りだ。
今回も最後まで読んでくださりありがとうございました!
▼『山口小夜子 未来を着る人』(東京都現代美術館)
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