エネルギーに敏感な人間の生き方を考える
私は人よりエネルギーに弱い。
週5日も会社で働けば、人と電磁波のエネルギーを浴びてクタクタになるので、週末は誰にも会わずに過ごして、ようやく自分を取り戻せるようなレベルだ。
そんなエネルギー虚弱体質の私が考える、エネルギーに敏感な人間のメリットとデメリット、生存戦略について書いていきたい。
同じような体質の方の参考および勇気づけになったら幸いだ。
Index
エネルギーに弱いことのデメリット
私がエネルギーに弱いことに気づいたのは、子どもの頃のこと。
友人家族と大型ショッピングセンターに出掛けたときだった。
体験したことのないほどの人混み、駅前の汚れた路地裏…色々なことが私にとっては刺激が強すぎた。楽しそうに買い物をする友人たちと比べて、「自分はどうして楽しめないのだろう」と悲しかった。
そんな幼少期から生きてきて約30年。「エネルギーに弱くて困ること」って結構あるなと思っている。例えば次のようなことだ。
何もしなくても疲れる
一番困るのは、特に何もしていなくても疲れてしまうことだ。
本当のところは「何もしていない」わけではなく、「何もしていないように見える」のだ。
そもそもなぜエネルギーに弱いのかというと、「目に見えないものを敏感に感じ取る体質」であるが故に、常に体力と精神力が奪われているからである。
周囲の人より多くのことを感じ取っているし、色々と気がついていることもある。しかしその代償に自分自身のエネルギーが多く奪われており、結果として「何もしていないはずなのに疲れる」現象が起こってしまうのだ。
人並みに働けない
エネルギーに弱いと、人並みに働くことが難しくなる。
私はIT系ベンチャー企業で働いているので、周囲は「バリバリ働きます系」の人たちで溢れている。無論彼らはめちゃめちゃ熱いエネルギーを発している。そんな彼らと比較すると、「エネルギーに弱い人間って全然働けていないな」と思う。
朝から晩まで働いて、飲み会まで行っても元気な人たちがたくさんいる。いやむしろ、彼らは飲みや遊びに行くことで活力を得ているかのようにも見える。
エネルギーに弱い人間は、1日8時間×週5日会社にいるだけで疲れてしまうので、人並みに働くことが難しいことはいうまでもない。
好きなことをする余力がない
社会生活を送るだけで疲れて、好きなことをする余力がないことも多い。
私は自分の敏感さを活かせる活動、ブログを頑張りたいと思っている。しかし残業が続くと疲れて切ってしまって、平日のブログ更新はもちろん、週末もグッタリ過ごす時間が増え、ブログに時間を割けなくなってしまうことが多い。
あくまでも会社の仕事は生計を立てるためであって、本当は自分の性質を活かした活動に時間を割きたい。しかし疲れて思うように好きなことができないとき、私は「体力を消耗するために生きているわけじゃないのにな」と無性に悔しさを感じてしまう。
周囲に理解されにくい
エネルギーに弱い体質というのは、周囲から理解されにくい。
正直、このブログを書いている今も、読んだ人から「甘え」や「弱いアピール」と受け取られてもおかしくないと感じている。
自分のエネルギーを「社会生活」と「やりたいこと」に上手く分配して生きていこうとしているけど、「仕事や交友関係に全力を出さない人間はダメだ」という無言の圧を感じることは多々ある。
そんな圧を感じたときは、「この体質で生まれてきたことが悔しいよ」と思いながらも、「こんな自分だからこそ出来ることを絶対にする」という決意で何とか乗り越える次第だ。
エネルギーに弱いことのメリット
デメリットの多いエネルギー虚弱体質だが、何事にも長所と短所が背中合わせであるように、メリットもあると考えている。
敏感に感じ取れることが多い
エネルギーに対して敏感な分、感じ取れる情報が多いことはメリットだ。
敏感な体質の人は、人のオーラや表情、言葉、その場の空気など、目に見えない情報を多く感じ取っているように思う。
その敏感さゆえに体力を削られたり、普通の会社では能力が発揮しにくかったりするのだが、環境を選べば活躍できる可能性を秘めている。
よってエネルギーに弱い体質を逆に活かせる分野を探すことが、私たちのような人間の宿命ともいえるだろう。
人と違う生き方を探せる
人と違う新しい生き方を探せることもメリットだと考えている。
体力のある体質だったら、会社で活躍して出世するという、通常の生き方を目指せたのかもしれない。しかしエネルギー虚弱人間は動ける時間が少ない分、別の能力発揮方法を探すしかない。
私は自分の感性を活かせる場所は、自分のブログやSNSだと考えているし、発信することで生き辛さを抱えている人を少しでも勇気づけられるかもしれないと思っている。また他の人の例だと、田舎での生活をあえて選んで暮らしの発信をしている方もいたりする。
このように成功の定型ルートが固まりがちな世の中で、新しい生き方や可能性を提示することができるのは、エネルギー虚弱体質の強みといえるのではないだろうか。
多角的な視点をもてる
生き辛さを抱えてきたがゆえに、多角的な視点をもてることも強みである。
私は子どもの頃から人や機械のエネルギーに圧倒されやすかったため、「どうして自分はすぐに疲れてしまうのだろう」「皆と同じようにできないのだろう」と、生き辛さの原因を考えてきたし、社会に適合する方法を模索してきた。
そのため「体力のある人の生き方」も理解できれば、「疲れやすい体質の人の生き辛さ」も理解できると自負している。
このように「絶対にこの生き方じゃなきゃダメ」とは思わずに、色々な生き方があることを知っているというのは、広い視野をもち、他者を理解する優しさをもつことに繋がっているのではないかと思う。
エネルギーに弱い人間の生存戦略
エネルギーに弱い人間は、「エネルギーに弱いことの長所」を活かした生き方をすることが、自分らしく幸せな生き方をするための秘訣であるように思う。
そのためにはエネルギー虚弱体質ならではの「生存戦略」が必要だ。私が身に付けてきた生存戦略は次のようなものである。
エネルギー虚弱体質であることを自覚する
まず、自分がエネルギーに弱いことを自覚することが大切だ。
私は長年「自分はおかしいから普通にならなければいけない」と考えて、「敏感」という自分の性質を消して、何事にも鈍感にタフに生きようとしてきた。(IT系ベンチャー企業に就職したのもそんな考えによるものだった。)
しかし、どうやったって本来の自分が顔を出すから、「普通」になることはできず、体に異変が生じるだけだった。
エネルギーに弱い人間は、長所を活かす方向に舵を切るためにも、諦めて自分の性質を受け入れることが第一に必要なのである。
エネルギーを消耗する人・場所に近づかない
次に、ムダにエネルギーを消耗させる人や場所に近づかないことである。
私は会社の飲み会にはほとんど行かない。同僚のことが嫌いだからではなく、「疲れて死んだように生きる人間」にならないためである。また、自分の能力が一番発揮できる活動にエネルギーを残しておいた方が、社会に還元できることが多いと考えているからでもある。
彼らとはランチの時間に話すなど、個人的に疲れない時間や方法を探して交流するようにしている。少し工夫すれば、ムダにエネルギーを消耗することもなく、人との最低限の交流ははかれると思うのだ。
エネルギーを消耗しやすい関係性や、人混みなどの環境は極力避けて、「本来力を発揮するべき活動」のためにエネルギーを温存させることも、大切な生存戦略だと考えている。
エネルギーを回復させる時間を取る
社会生活の中で消耗したエネルギーを、意識して回復させることも大切だ。
どんなに気を付けていても、会社で働いていると人や電磁波と接するし、忙しい時期もあるため、エネルギーの消耗からは逃れられない。
そのため私は、寝る前には必ずシャワーを浴びて「吸ってしまった人や電磁波のエネルギー」を落として、自分をクリアな状態に戻すように心掛けている。
他にもストレッチや食事など、メンテナンスが多くて大変ではあるが、「エネルギーを回復させる時間をもつこと」は意識してつくっている習慣だ。
敏感さを活かせる活動に時間とエネルギーを注ぐ
敏感さが強みになる活動で生きることが、一番幸せな生存戦略だと思う。
どうあがいてもエネルギーに弱い性質から逃れられないのであれば、それを強みに変えるしかない。もし「敏感であること」を活かした活動で能力を発揮できたら、自分にとっても社会にとっても良い結果にしかならないと思うのだ。
そのため私は「エネルギーに弱いことを自覚して」「体力のムダな消耗を抑えて」「失った体力をしっかり回復させて」から、本来やるべき活動に打ち込むことを大切にしている。
自分にとっても社会にとっても、幸せな結果になるように。
まとめ
以上が、私が考える「エネルギーに敏感な人間の生き方」である。
長年にわたって悩んできた分、自分でもびっくりするくらいの分量になってしまったが(笑)、試行錯誤してきた経験が、少しでも同じような方の応援になったら嬉しいと思う。
めちゃくちゃ長い投稿になってしまいましたが、今回も最後まで読んでくださりありがとうございました!
▼ ナツリンの考え方系の記事だよ





